ひばりっこブログ

母のお弁当

   雲雀丘学園小学校に着任して1年と少し,結婚し半年が過ぎました。毎日の生活の中の色々な場面で,母の偉大さを感じます。
 今の私は家事を一通りこなすのに精一杯です。一通りこなせているのかどうかも分かりません。疲れて帰った日には,何もできないときもあります。私は,3人きょうだいです。母は家事をこなしながら,私たち3人のきょうだいを育てあげました。私はどちらかというと,大人しい性格ではなく活発でした。兄は私とはちがって大人しく,妹は自由奔放。三者三様で父も
母も毎日冷や冷やしていたのではないかと思います。
 母の偉大さを感じるもののうちの一つがお弁当作りです。私は幼稚園,小学校,中学校,高校とお弁当を持っていっていたので,15年間母にお弁当を作ってもらっていました。そして,社会人になってからも,恥ずかしい話ですが,1年目の頃は私がくたくたになって帰ってくるのを見て,「子どもたちのために,しっかり寝なさい。」と言い,お弁当を作ってくれていました。作ってもらっていたときは,当たり前のように何も思っていなかったのですが,今自分で作るようになって,毎日欠かさず,お弁当を作っていた母の偉大さを実感しています。
 朝から揚げ物を揚げる音や野菜を切る音が,聞こえていたことを今でも覚えています。母は私たちの好き嫌いを考えてメニューを決めていました。3人とも嫌いなものが異なっていたので,随分頭を悩ませたと思います。また,妹は少し歳が離れているので,食べやすいようにおにぎりを握ったりおかずを小さく切ったりしていました。その手間を考えるだけでも,頭が
下がる思いです。
 また,母に申し訳ないこともしました。ある日,お弁当にハンバーグが入っていました。一口食べてみると,いつもと味が違います。私はそれ以上,ハンバーグにお箸をつけませんでした。どうやら,それは母が作ったハンバーグではなかったようです。その日から,母は手作りでないものを入れなくなりました。好き嫌いの多い兄と初めて見る物を食べない私が原因で 苦労をかけてしまったと,今になって思います。
 そして,一番頭が上がらないと思うことは,母はどれだけ体調が悪くても,私たちにパンを買わせたり,コンビニで買って持って行かせたりすることがなかったことです。体調が悪く寝込んでいても朝にはお弁当が完成しています。すっかり体調が良くなり,元気になったのではないかと思うくらいに。私たちを立派に育て上げるという想いや責任感が強かった母は,お弁当を作ることが母親の仕事だと思って,毎日休まず作ってくれていたのだと思います。
 作ってもらえるのが当たり前だと思っていたあの頃の私は,その有り難みに全く気付いていませんでした。自分で作るようになって,ようやくその有り 難みに気がつきました。毎日メニューは何にしようか,栄養が偏っていないかと頭を悩ませています。
 母のように手際よく作れるようになるにはまだまだかかります。でも,もし私が母親になる日がきたら,母のように自分の子どもにお弁当を当たり前に作ってあげたいと思います。
 母のように,毎日お弁当を・・・というのはハードルが高いかもしれませんが,母に負けず頑張り続けられるようになりたいと強く思いました。