ひばりっこブログ
2020/01/31
歌で支えた阪神淡路大震災
1月号の森先生に続き,阪神淡路大震災のお話になります。
この原稿を書いているのは1月17日,小学校では先ほど避難訓練があったばかりです。毎年,この時期に思い出すのは25年前の生々しい光景です。
当時,大阪府に住んでいた私は,神戸市混声合唱団という,神戸市に所属する合唱団で歌っていました。1月16日深夜,神戸で歌の仕事を終えた後,阪神高速神戸線を通って自宅へ帰り,就寝しました。朝5時46分,気が付くとベッドの上で体が跳ねていました。何が何だかわからないまま,次にやってきたのは大きな横揺れでした。食器の割れる音。詳しい状況がわからないまま時間は過ぎ,少しずつ分かってきたのはこの地震が神戸を中心とするものだということでした。そしてテレビに映し出された映像,阪神高速神戸線がきれいに横倒しになってバスが落ちかかっている光景です。「あれって数時間前に通った道だよなぁ」愕然としました。神戸市東灘区に親せきがいました。連絡が付きません。数日後,阪急電車が西宮北口駅まで動きました。たくさんの水と食料を抱えて東灘区を目指しました。武庫之荘,西宮,芦屋,進むたびにどんどんと状況は悪化していきます。神戸市に入った時,ぐちゃぐちゃになった家の前で一人の女性が呆然と立っていました。その人は力なく「この下に家族がいるんです。誰か助けてください・・・」その時の私の力ではどうすることもできず。励ますことすらできませんでした。親せきの家は全壊でしたが,幸い一命はとりとめていました。
数日後,被災地に住む合唱団員も多く,私たちに何かできないかと考え,大阪,京都に住んでいる団員に音楽活動を再開しようと呼びかけて,JR大阪駅前,阪急京都河原町駅前など,主要駅や百貨店などの場所をお借りしてコンサートを開きました。神戸市を本拠地としている合唱団であること,団員の中にもたくさん被災者がおり,本拠地での活動再開のめどが立っていないことをお話しし,被災者のための義援金を募りました。歌は神戸にちなんだ歌,いつも私たちが神戸市内の学校や施設で歌っている歌を中心にプログラムを組みました。趣旨にご賛同いただけた方からたくさんの義援金をいただき,被災者に届けることができました。街頭に立って義援金を呼びかけるだけではなく,歌を歌って呼びかけることで,これだけもたくさんの方々に思いが届いたのだということに感動しました。
その後,鉄道も開通して,神戸の街に踏み入ることができるようになりました。それまでに神戸に住んでいる団員たちは自分たちだけで避難所や仮設住宅でコンサートを始めていました。私たちも合流し,被害のひどかった東灘区の本山地区や火事で焼け野原となってしまった長田区の避難所や小学校,施設を訪問し,歌で被災者を励ます活動を本格的に始めました。ステージもピアノもない学校の運動場で仮設テントが立ち並ぶ中,歌を歌いました。まだ,自分たちのの生活もままならぬ中,たくさんの人たちが集まってくれて,私たちの歌に手を握って涙を流し,そして大きな拍手をいただきました。その時,歌には人々の心を慰め,癒し,励ます力があるということを強く感じました。
そんな最中,私の耳に子どもたちの歌声が届いてきました。初めて聞く歌でした。歌詞の中に「亡くなった方々のぶんも毎日を大切に生きてゆこう」という歌詞が入っていたことを鮮明に記憶しています。衝撃でした。「傷ついた神戸」「ひびきわたれ僕たちの歌」その歌はその後いろいろな所で紹介されるようになりました。「しあわせ運べるように」作詞作曲,臼井真さん。神戸市内の小学校の音楽の先生でした。今でもこの曲が流れてくると,当時の神戸の街,そして被災地で歌を歌い続けたことが鮮明によみがえり,涙があふれてくるのです。
「うたう」という言葉は「うった(訴)ふ」というのが語源であるといわれています。歌や音楽が人々を共感させ,心を和ませ力を与える。そして様々な記憶をよみがえらせてくれる。震災当時のこのような体験で得たことが,今の私の音楽観を支える大きな柱となっています。子どもたちにも日々の音楽の授業の中で歌や音楽を通じて「自分の思いを伝える」ということの大切さと,その中に込められた思いを感じ取る力をつけていけるよう,音楽指導を続けていきたいと思っています。