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1.17 あの日を忘れない

19年01月30日

 今から24年前の1月17日、午前5時46分、ゴゴゴゴゴーという大きな地鳴りと共に大きな揺れが神戸の町を襲いました。
 当時私は、神戸市長田区に住んでいました。地震が起こった時は、家族4人共二階で寝ていました。大きな音が響き、ベッドの上で跳びはねました。今までに経験したことのない大きな地震でした。私たちは、布団に潜って揺れが収まるのを待ちました。真っ暗な中、一階に降りると、また大きな揺れがきたので、風呂場に逃げ込みました。揺れが収まったので、みんなで近くの公園に避難することにしました。私が2歳の弟を抱っこし、妻が6歳の兄の手を引いて4人で逃げました。明るくなるまで、公園で過ごしました。近所の人たちも避難してきていました。起きてすぐに逃げ出したので、みんなパジャマで、裸足にサンダルという格好でした。近所の皆さんが、子どもたちに靴下を下さったり、毛布を掛けて下さったり、とても親切にして下さいました。
 近所に住むおばあちゃんも公園に避難して来ました。子どもたちを預けて、妻と二人で家の様子を見に戻りました。逃げるときは暗くてわからなかった周りの様子も、明るくなってよく分かるようになりました。道路は盛り上がり、塀は倒れ、水道管が破裂し水が大量にでていました。また、電線が切れ、火花が散り、辺りは焦げ臭く、数カ所から出火していました。本当に、信じられない状況でした。
 多くの家が倒壊していましたが、幸い自宅は何とか中には入れる状態でした。家の中は、食器棚が倒れてガラスが割れ、中の食器も散乱していました。トイレや洗面所のタイルもぐちゃぐちゃになって割れていました。テレビも、もとあった場所から随分離れたところに飛んでいました。二階のベッドの横にあったタンスが倒れていましたが、布団の上まではきていなかったので助かったようです。家の中は、散々な様子でした。
 とにかく学校に連絡をしなくてはいけないと思い、学校や教職員の自宅に電話をしても全く通じませんでした。現在のように携帯電話も普及していませんので、連絡の取りようがありません。公衆電話も長蛇の列でした。とりあえず、最低限の衣服と布団、ご飯(炊飯器ごと)を持って公園に戻りました。そして、5人で避難場所になっている近くの高校の体育館に行きました。体育館は満員。大勢の方々が、教室にも分散して避難されていました。

 その夜の空は真っ赤に染まっていました。火事です。道路が通れないので消防車が来れません。水道も色々なところで分断されているので、水も出ないのです。早朝からの出火は、どんどん広がり、町中を飲み込んでいきました。あの日の真っ赤な空は、一生忘れることはないでしょう。

 避難していた実家からの通勤は、電車もあまり動いていないこともあり、半日以上かかるような日々が続きました。仕事にも支障が出るので、当時幼稚園の横にあった使用していない教員用住宅に泊まり込むことになりました。みんながきれいに掃除して下さり、保健室の寝具を借り、当時の校長先生がコタツを持って来て下さいました。勿論、水道やガスはありません。お風呂もありません。教職員の方や保護者の方が食事やお風呂をお世話して下さいました。そんな生活がしばらく続きました。

 自宅は全壊だったので、心配して住む家を探す手伝いをしてくれる教員もいました。本当にありがたいことです。

 お陰様で,住むところも決まり、長男の小学校入学にも間に合いました。少し落ち着いた頃に高校・大学のラグビー部の仲間からの支援がありました。また、当時担任していた児童の保護者の方々からも子供服や食器などを頂きました。これほど、人の温かさを感じたことはありません。

 限られた時間や字数の中では全てを語り尽くせませんが、これからも、多くの子どもたちに震災の体験を伝えていきたいと思います。

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