「大阪府には、飛行場がいくつありますか?」
3年生で地図記号を学習したあと、子どもたちに質問をします。
さっそく、地図帳の大阪府のページを開き、飛行場の地図記号を一生懸命に探しはじめます。
『関西国際空港』、学校に近い『大阪国際空港』はすぐに見つけます。
「もう一つ、あるでしょう?」
と言うと
「え、まだ、あったっけ?」「どこだ、どこだ!?」
となり、だれかが『八尾空港』を見つけるのです。
大阪府には、現在3つの飛行場が存在します。
「では、兵庫県には飛行場はいくつあるでしょう?」
「知ってる、神戸空港でしょ。」「一つ!」
とすぐに答えますが、今度は兵庫県の地図とにらめっこ。そして、
「あった、…たんうま空港!」「いや、たんば空港かな?」
と答えます。惜しい、正解は『但馬(たじま)コウノトリ空港』。
大阪国際空港は兵庫県(伊丹市)の空港じゃないの?という意見もあります。
たしかに、滑走路は伊丹市にありますが、空港事務所やターミナルビルは豊中市。
大阪、兵庫の両方にまたがっているので、兵庫県にも3つの飛行場があるということにしましょう。
兵庫県には、その他にも飛行場が存在していました。
太平洋戦争の最中に作られた、加西市の『鶉野(うずらの)飛行場』です。
現在は運用されていませんが、滑走路は今も残っています。
もう一つ、どこにあったかご存じですか?
下の写真は、終戦直後の兵庫県西宮市鳴尾浜の航空写真です。
(ウィキペディアより引用)

写真の右側、南北に流れる大きな川は武庫川です。
左上には甲子園球場が見えます。
甲子園球場から南に下ると、うっすらと大きな「X」型の土地が確認できます。
これは海軍航空隊の『鳴尾浜飛行場』の滑走路なのです。
現在、この土地には大学や市の施設などが建てられ、その面影は殆ど残っていません。
しかし…、
再びこちらの写真。

黄色線の部分は戦後に造られた堤防の外であるため、波の浸食で海に消えたのですが、
沈んだ一部分が、干潮時に浮かび上がってくるのです。
昨日、その様子を見てきました。
上の写真の赤○印から黄色線の部分を臨んだ景色です。


海の中に、破線のような「枠」が見えるでしょう。
これが昔の海岸線、鳴尾浜飛行場の先端部分です。
砂地の部分、ここは陸地(滑走路)であったところですね。


よく見ると、人の手を加えて加工した後がはっきりと見て取れます。
まさに、太平洋戦争の遺物です。
じっと見ていると、何かを語りかけてくるように感じました。