心まにまに
2021/06/30
「みる」こと
子どもを
覧て、見て、観て、視て、看る。
それが教師です。
昔から、よく言われることです。
五つの『みる』には、次のような意味があります。
① 覧る … 広く見わたす。
② 見る … 目で物(人)の様子をとらえる。
③ 観る … 意識して、目の前の物(人)を見る。
④ 視る … とくに注意して、目の前の物(人)を見る。
⑤ 看る … 見守る、世話をする。
①〜④は意識をすればよいのですが、
⑤の『看る』は、他とは違う難しさがあります。
朝から、あくびばかりしている子がいるとします。
その理由を尋ねると、
「昨日、夜遅くまでゲームをしてて…」。
そのような子どもを『看る』ことができているか。
「ゲームをやめてしまいなさい」のひと言で済ませ、
『看た』つもりになっていないか。
保健室が常に子どもでいっぱい…、
そんな学校が増えていることが、社会的な問題になっています。
その原因は子どもの心に隠れていると思いますが
教師が寄り添い、真剣に『看よう』とすることで
その子が楽になることもあるはず。
『看る』には、相手を思う心が不可欠。
そして、相手を思うためには、相手とたくさん関わって、
その人のことを大好きになることが大切。
本校の教員は、そう考えて子どもと接しています。
そこから、『看る』力がつくのだと信じています。
今朝、登校してきた1年生の女の子が
うれしそうな顔で見せてくれました。
葉っぱを表裏からセロテープでとじた『しおり』。
「上手につくってるね~! むずかしくなかった?」
と尋ねると、
「えへへ~」
と笑っていました。