心まにまに

「みる」こと

 子どもを

 覧て、見て、観て、視て、看る。

 それが教師です。

 

昔から、よく言われることです。

五つの『みる』には、次のような意味があります。


① 覧る … 広く見わたす。
② 見る … 目で物(人)の様子をとらえる。
③ 観る … 意識して、目の前の物(人)を見る。
④ 視る … とくに注意して、目の前の物(人)を見る。
⑤ 看る … 見守る、世話をする。


①〜④は意識をすればよいのですが、

⑤の『看る』は、他とは違う難しさがあります。

 

朝から、あくびばかりしている子がいるとします。

その理由を尋ねると、

「昨日、夜遅くまでゲームをしてて…」。

そのような子どもを『看る』ことができているか。

「ゲームをやめてしまいなさい」のひと言で済ませ、

『看た』つもりになっていないか。

 

 

保健室が常に子どもでいっぱい…、

そんな学校が増えていることが、社会的な問題になっています。

その原因は子どもの心に隠れていると思いますが

教師が寄り添い、真剣に『看よう』とすることで

その子が楽になることもあるはず。

 

『看る』には、相手を思う心が不可欠。

そして、相手を思うためには、相手とたくさん関わって、

その人のことを大好きになることが大切。

本校の教員は、そう考えて子どもと接しています。

そこから、『看る』力がつくのだと信じています。

 

今朝、登校してきた1年生の女の子が

うれしそうな顔で見せてくれました。

 

葉っぱを表裏からセロテープでとじた『しおり』。

 

「上手につくってるね~! むずかしくなかった?」

と尋ねると、

「えへへ~」

と笑っていました。