心まにまに

秋の苦しみ

今日から9月です。

 

本来であれば、担任教員のあいだで、

「総合発表会(の舞台発表)は、何をするの?」

「うちのクラスはね、…」

という会話が交わされる頃です。

しかし、総合発表会は予定通りとはいかず、

寂しい9月となりました。

 

担任を持っている頃の話です。

クラスの子どもに

「総合発表会の舞台発表は『劇』をします。」

と伝えると、

「何という劇ですか?」

「どんな内容の劇ですか?」

「台本はいつ、配るんですか?」

と矢継ぎ早に質問をしてきます。

 

気にかけてくれることは嬉しいのですが、

この段階では台本どころか、

内容すら決まっていません。

「うーん、…まだ、考え中。」

と、軽くお茶を濁しておきます。

 

何日か経つと、

「先生、劇のこと、決まりましたか?」

「タイトルだけでも教えてください。」

「台本、そろそろできないと、ヤバくないですか?」

と催促してきます。

 

もちろん、考えてはいます。

こんな劇にしたいという大枠はあるけれど、

なかなか形にならない、イメージが湧かない。

 

また、何日か経つと、

「先生、大変です!

 隣のクラスが台本を配ってます!」

と報告が入ります。

発表会前に台本が配られる、

…何も大変なことではないのですが、

『うちのクラスだけ台本が配られない、

内容すら決まっていない』ということが大変なのですね。

 

正直、私のお尻にも火が着きはじめ、

とりあえず頭の中の考えを文字に起こします。

パソコンを前に台本作りに取り組みますが、

ありきたりな流れのお話しかできません。

また、うーん…と悩みます。

 

ここからが不思議なのですが…、

 

人は真剣に考え事をすると、

ある朝、目覚めたとき(なぜか朝が多い)、

想像もしないアイデアが閃くのですね。

私は信心深いほうではないのですが、

このときだけは『神様が降りてこられた』と感じます。

 

そのアイデアをもとに台本に手を加え、

印刷をして、製本をして、子どもたちに配る。

この瞬間に心底、ホッとするのですよ。

そして、子どもたちからの

「やっと、ですか!」

「もう、台本無しでやるのかと思いましたよ〜。」

というイヤミに耐えるのです。

 

私にとって秋は、『産みの苦しみ』の季節です。

 


ちなみに、

自分のクラスの劇には子どもたちの意見を

できる限り盛り込みたいので、

台本は加筆だらけになります。

最後の舞台練習が終わったあとに、

さらにセリフや動きが増えることもあります。

そのため、第2版、第3版と刷り直します。

 

台本を配るのは、おそらく学校の中で最も遅いのに、

台本の印刷枚数は最も多かったと思います。