心まにまに

I’m not Mam.

若い頃、

本校で対外的な研修会が行われ、

私は生活科『しゃぼん玉あそび』の

授業実践に取り組みました。

 

ある子が大きなしゃぼん玉を作り

「先生、見て!」

と言うところを、興奮して

「ママ、見て!」

と、言い間違えました。

すぐ、その子は言い間違いに気づき

顔を赤らめましたが、

私はとくに気にとめず…。

 

授業後に他校の先生方から

感想をいただく中で、

ある年配の男性の先生が

「ママ、見て!」

と言い間違えた子どもを

話題に出されました。

「あれは素晴らしい!」

と。

 

「生活科は活動の中から

 学びを得る教科ですが、

 やらされている活動であると

 何の学びも得られない。

 『ママ!』という言葉が

 思わず出たのは、

 よほど活動に没頭していた中で、

 驚きがあったからです。

 

これからも、このような授業を

どんどん実践してください、と。

天狗のように鼻が伸びる…、

そんな気持ちでしたが、

言われないと気づかない

まだまだ若造のころの話です。

 

上手にほめていただいたおかげで

今でもこの言葉は覚えていますし、

その後の生活科の授業では

活動が子ども主体になっているか、

自分よがりになっていないかと

気にするきっかけになりました。