心まにまに

お米をいただく

子どもの頃、家で食事をしていて

「おかわり!」

と、ご飯茶碗を差し出すと、

祖母はそれを両手で受け取って

ご飯をよそい、

「よう、おあがり」

と、両手で手渡してくれました。

私もそれを真似て、

両手で受け取りました。

 

食器を手に持って食べる国は、

世界の中でも珍しい。

おとなりの国、韓国では、

食器を持ちあげて食べることは

行儀が悪いと言われますし、

中国でも食器を持って食べることは

ほぼ、ありません。

 

日本人がご飯茶碗を手に持つのは、

米を中心とした暮らしを

昔から送っていたからと言われます。

米作りが国を安定させ、

石高が大名の力の大きさを示し、

日本の神社のほとんどは

稲の神様であり…、

そのようなことから、大切な米を

粗末に扱わないという意識が生まれ

お茶碗を手で持つようになった、と。

 

私の曽祖父母は、

米屋を営んでいました。

それもあり、我が家は米の扱いには

とくに厳しかったのかもしれません。

 

さて、ひばり米を3年生が刈り取り、

17キロの玄米となりました。

それを、どういただくか…

検討しています。

きっと、3年生は一粒一粒、

大切にいただくことでしょう。

 

その大切に…という気持ちは

昔からの意味ではなく、

自分が植えて

自分で刈り取った大切なお米だから。

いや、SDGsの目標を思って…かな?

いずれにしても、

美味しいでしょうね。