ひばりっこブログ
2018/01/11
親孝行とは
本校の建学の理念に親孝行がある。・・・でも,親孝行って一体何だろう,どういうことを親孝行と言うのだろう。小さい頃からずっと言われ続けてきた言葉だが,冷静に考えたことは今までなかった。小学生の頃思っていた親孝行は,いい成績を取ること。中高生の頃思っていた親孝行は,怒られるようなことをしないこと。大学生の頃思っていた親孝行は,夢を叶えて就職すること。でも今こうして教師として本校に戻ってきて思う親孝行は,これまでとは違う。いい成績を取ることでも,怒られるようなことをしないということでもない。親が悲しむようなことをしないこと,親を喜ばせること。これが今思う親孝行である。
しかし,親孝行とはその時々でかわるものなのだろうか。果たして本当の親孝行とはどのようなものなのだろうか。広辞苑では,親孝行は”子が親を敬い,親によく尽くす行い”と説明されている。私はもう大人ではあるが,親にとっての子ども,という1人の子どもとしての立場から考えると,親孝行とは親が喜ぶことをすること。たとえば,食事の片付けをする,掃除のお手伝いをする,といった”力になる”ことだと考える。もちろん,力になるようなことをすると親は喜んでくれる。しかし,親孝行は”力になる”ということだけとは限らない。
我が家では外出するとき,合言葉のように「行ってきます。」「行ってらっしゃい,気を付けてね。」がセットで毎日繰り返されている。私の両親にとっての親孝行とは,私が元気でいることだと小さい頃から言われ続けていた。しかし,贅沢ながら,本当に元気でいればそれでいいのかと不思議でたまらなかった。幸い大きな病気をすることもなくここまで大きくなれたが,本当に親孝行をしてこられたのだろうか。
私は小学2年生の頃から小学校教諭になることが夢であった。そして今夢を叶えて教壇に立っている。昨年は専科担当として68回生,71回生と関わり,今年は3年雪組の担任として36人の子どもたちと楽しい毎日を過ごしている。親としては,毎日学校での子どもたちとのエピソードを楽しそうに話し,金曜日「明日から子どもたちに会えない。」日曜日「明日から一週間が始まる!!」と充実した毎日を送っていることが親孝行以上の親孝行であると言う。私はありのままに毎日のことを両親に報告しているだけのつもりでも,親にとっては違う。
今年の1月,祖父が他界した。私も父もみんなできる限りのことはしたつもりであった。祖母も「おじいちゃんのために○○してくれてありがとう。」と会話の節々でいってくれる。しかしそれでも祖父を失った今,「あのとき,ああすればよかった。」とたくさんの後悔がわき出てくる。親孝行には後悔が付きものということだろう。
このように親孝行について考えてみると,子どもの方が親孝行のハードルを高く設定しているということが両親,祖父母との関わりの中で見えてきた。子ども目線での親孝行と親目線での親孝行,全く同じ,ということはこれから先もないだろう。ただ1つ言えることは,お互いがお互いにとってとても大切な存在であるということである。これからも,私は私なりの形で,両親を大切に考えて親孝行していきたいと思う。