ひばりっこブログ

母の涙

 私は,母の涙を1度しか見たことがありません。母の母,私にとって,祖母が亡くなった時だけです。中学生だった私は,「お母さんでも泣くんだ。」と通夜の時に思ったことを覚えています。
 母に,「泣いたことないの?」と高校生くらいの時に聞いたことがありました。すると,私の小学校の卒業式に泣いたと話してくれたのです。幼稚園の卒園式の時には,周りのお母さんが泣く中,私の母は涙を流してはいませんでした。「なぜお友だちのお母さんは泣いているの?なぜ私のお母さんだけ泣いていないの?」なんて,6歳のころの私は思っていました。そんな母が小学校の卒業式には泣いたそうですから,不思議だなと思いましたし,私のために流した涙を見たかったなとも思いました。卒業式に,真新しい洋服を着て,胸を張り,誇らしげに卒業証書をもらう姿に感動したのではないのかなと想像しています。
 本当の理由は,今となっては分かりません。理由を聞くことのないまま,私が20代の時に,私の母は亡くなったからです。母は,闘病中に「私の人生,こんなもんやな。」と伯母に弱音を吐いたときも,亡くなる前にいくつも円形脱毛した頭を私に見せたときも,涙を見せませんでした。むしろ,子どもである私たちのことを最期まで心配して「お母さんは大丈夫。」と言っていました。
 そんな母は強かったなあと今でも思いますし,そんな強い母に私はまだまだなれていないなと思います。
 でも,思うのです。本当は母はもっと泣いていたのではないかと。死への恐怖はもちろんのこと,子どもを残して逝くことを考えて,夜は涙で枕を濡らしていたことでしょう。そして,きっと,日常でも,私たち家族のことで,泣きたいことも,実際に泣いたこともたくさんあっただろうと思うのです。
 3人の母になった私には,それがよく分かります。私自身,我が子の前でも,こっそりでも,たくさん泣いてきました。流産の後の妊娠で,無事に心拍が確認された日。子どもが生まれて産後うつのようになり,訳もなく,食卓で泣いた日。初めて保育所に預けて迎えに行ったときに,我が子の一筋の涙を見た日。保育所の卒園式でただ歩いている姿で号泣した日。テレビを見て,初めておつかいをする知らない子どもの姿を見た時にも,バスタオルを手に感動しっぱなしの涙でした。
 私は,嬉しい涙も悲しい涙もたくさん流してきました。そして,今でも,母のことを想い,枕を濡らすこともゼロではありません。保護者の方も同じではないでしょうか。個人懇談の時にそれを感じることがあります。保護者がお子様のことを話しながら涙を流しているのを見ると,私ももらい泣きをしそうになります。本当にお子様のことを想っているな,心配しているな,愛しているなと。そして,それは,教師としても同じことなのです。私が教師となって初めて泣いたのは,4年生の担任をしていたときです。理由は内緒ですが…。その後も,いろいろと子どもたちの前でも,こっそりでも,涙を流してきました。そして,これからも泣いていくのだろうと思います。
 悔し涙と喜びの涙は,成分が違うそうです。
 現在,6年生の担任。卒業まであと半年。卒業式には,こっそり泣きたいのですが,泣き虫の私には,ちょっと無理ではないかと今から心配しています。だからこそ,こうすればよかったの悔し涙ではなく,卒業を無事迎えることができた,成長を喜ぶ,保護者と同じ成分の,母のような涙を流したいと思っています。