ひばりっこブログ

青い春と夏の空(6年生)

今年度、西日本私小連読書感想文コンクールで

奨励賞に選ばれた作文を紹介します。

自分の経験を物語に重ねながら、共感しながら、丁寧に綴られています。

 

 

「青い春と夏の空」     6年雪組 梅林夏帆

 

 「マスク越しのおはよう」「私たちの世代は」等々、最近手にする本は、コロナ禍を題材にしたものが多くなったような気がする。今回出会った本もそのひとつだ。 

  この本の舞台はコロナの感染拡大期の長崎五島、茨城県、東京。それぞれに暮らす中高生が天体観測でつながる物語。

 五島に住む高校生の物語が、一番リアルにコロナ生活の影響を描いていて、当時の自分の気持ちと重ね合わせながら読んでいた。
 二〇二〇年三月。小学一年生の三学期。私は大好きな担任の先生や、初めてのクラスメイトと一緒に終業式を迎えることなく、次の登校日には二年生になっていた。
 担任の先生も、クラスメイトも変わっていた。ただ、変わったのはそれだけではなかった。マスク、手洗い、アルコール。半数ずつの登校。それが終わっても、お弁当の時間はしゃべっちゃだめ。休み時間も登下校中も、近づいちゃだめ。ハイタッチもだめ。歌もだめ、ダメダメダメ… … 。この本の中の中高生と同じで、涙が出た。
 不安だから。という理由でのお休みが許されても、心配だから。という理由でおばあちゃんに会いに行くことは許されなかった。
 たとえ誰も感染しなかったとしても、私たちが会いに行くだけで、おばあちゃんはしばらく誰とも会うことができない。周りから悪者のような扱いを受けるのだ。
 五島のお話でもそう。どうして避けられたり、一緒に帰ったりできなくなるの?どうして知り合いが感染すると、その人の関係者みんなが陰口言われるの?感染は犯罪?感染者は悪者?読みながら苦しくなった。
 確かにあの頃は本当に理不尽だったと思う。でも、誰も責められない。仕方がなかったのだ。だって、大人も子供も、誰もが初めてのことだらけだったから。
 それも時間が過ぎた今だからこそ理解できる。仕方がなかった。(では許されない人もいるだろうけど… … 。)
 コロナ禍では、離れ離れになった人がいると同時に、この本の中の中高生のように、出会いも生まれた。スターキャッチャー。どこで見上げても空はひとつ。手作りの望遠鏡を使って同時に空を眺め、いち早く星を見つける勝負をしよう。ただ沈んでいるのではなく、こんな時だからこそ、新しく出会った仲間たちと新しいやり方で新しいチャレンジをする。
 リモートで企画を進めるうちにまた新しい共通点を発見し、直接会ったこともない仲間との友情が芽生える。コロナでたくさんの「新しい」が生まれたのも、事実なのだ。

 私達の学校も、先生たちが一丸となって、不安な私達のためにリモート授業という新しい形をつくってくれた。これによって自宅からオンライン授業を受けられるようになった。もちろん直接会いたいけど、全く会えないよりも何倍も嬉しかった。コロナは新しい時代のきっかけを作ったのかもしれない。
 あれから四年が経ち、コロナ前とまではいかないけれど、日常がもどりつつある。
 本の中の中高生も、それぞれの環境はきっと大きく変わっただろう。今は画面越しではなく、実際にみんなで直接会って楽しい時間を過ごしているのかな。物語はその前に完結してしまったけれど、私の中のこのお話は、みんなが笑顔で直接会って、話に花を咲かせているところを想像して完結。そしてこの本を読んで思った。今度私も沈んだ時は、下ではなく、空を見上げてみよう。きっと日本のどこかで、同じ瞬間に同じ空を見上げている人がいる。そう思うだけで、元気がもらえるはずだから。


「この夏の星を見る」 辻村 深月 KADOKAWA